2011年7月3日〜9日 宮城県
被災地の支援に行ってきました
〜日本共産党福岡市議団の活動レポート〜
日本共産党福岡市議団は、5人の市議全員が7月3日から9日まで、東日本大震災の被災地・宮城県に入り、復興支援のとりくみをおこないました。その活動についてレポートします。
初日は被害甚大の県北部の実態を調査
▲南三陸町の志津川病院付近。
初日は、地元の日本共産党市議の呼びかけで、被害が大きかった宮城県北部(南三陸町・石巻市・東松島市・松島町・女川町)の被害実態を調査しました。案内してくれたのは中川邦彦・塩竈市議です。
家が土台ごとなくなり、集落や作業場などが壊滅的な打撃をうけたままになっている状況が広がっていました。
上からの計画押しつけに怒り
案内してくれた中川市議は、宮城県知事が地元の漁業者や住民の声を無視して、「水産特区」などといって上からの計画を押しつけていることに怒りをあらわにしました。
復興計画は、地元住民の十分な合意と公的支援が必要だということが交流され、福岡市議団から玄界島での復興の経験などを伝えました。
▲町長が九死に一生を得て、多くの町職員が流された南三陸町の防災庁舎前(左の赤い鉄骨)。ごく一部をのぞいて視界の大半が依然としてガレキの山のままです。
▲石巻市雄勝。津波でバスが公民館の上に乗ったままになっています。
▲南三陸町歌津の漁港。手前の麦わら帽子の80歳の男性は自宅の跡地付近で位牌を探していました。毎日、仮設住宅から来て掘り起こす作業をしているということでした。
▲108人中74人の児童が死亡・行方不明となった石巻市の大川小学校。この写真の右手が、避難を断念した山の斜面。供養の花やお菓子などがおかれていました。
▲その横に持ち主のわからない児童の遺品・流失物がおかれていました。
塩竈市・多賀城市・宮城郡で被災者の家を訪問
地元議員と要望など聞きとり
日本共産党の福岡市議団は宮城県の塩竈市・多賀城市・宮城郡の被災地支援に入り、地元議員とともに、住民や商店を訪問。被害の実態や行政への要望などを聞き取りました。また、住民税や所得税などの雑損控除の活用についても案内をして回りました。
政治への怒りが充満
市議(中央区)星野美恵子
瓦礫の山と子どもたちの遺品、人がいない住宅、鼻をつく悪臭など被災地の実態は胸をえぐられるようでした。塩竈市での訪問活動では「借上げ住宅の2年後が不安」「助成は『領収書引換え』と言うが立替えるお金がない」等の切実な要求とともに松本龍発言など政治への怒りの声が充満。その中で「制度を知らせ、要求を聴きにきてくれるのはあなたたちだけ」との声も。現地の方々の献身的な奮闘に頭が下がるとともに、引き続く支援の必要性を感じました。
想定超える対策重要
市議(南区)宮本秀国
私は塩竈市で、商店街や蒲鉾製造業者など被害状況や要望を聞取り調査しました。多くの事業者が再建への努力をしていますが、全くめどが立っていません。訪問先々で日本共産党の支援活動に感謝されました。改めて地域経済、市民生活の再建には住民合意と住民参加、そして国の支援策を早急に示すことが求められていると実感しました。被災地の復興とともに、福岡市でも想定を超える大災害への対策が重要だと感じた1週間でした。
悪臭に息をのむ
市議(早良区)中山いくみ
初めは宮城県内の南三陸町から石巻、女川、東松島市から塩竃の被災状況を調査。復興が見えない凄まじい光景と悪臭に息を飲みました。翌日からは利府町、多賀城市、塩竈市で地元議員とともに被災者訪問。父親を亡くした人、ペットの犬を失った人、親戚が家を失った人等、その被害の広さと深さを実感しました。塩竈の海岸沿いと多賀城では全壊、大規模半壊の家屋が多く、解体や修復にも未だ手がつかない世帯が多数残されていました。
大川小の遺品みて
市議(西区)熊谷敦子
どこまでも続く見るも無残な被災地の惨状。今も広がる「がれき」の中には人々の毎日の暮らしの跡が見え、大川小学校では泥だらけの子どもたちの遺品が並べられており、涙なしには見れませんでした。その後、私は宮城県塩竈市で支援活動を4日間おこないました。被災者支援センターに届けられた救援物資を被災者へ届けたり、仮設住宅への訪問、商店街の店舗への聞き取りなどをおこないました。福岡からの支援活動はどこでも歓迎されました。
生活再建こそ復興
市議(東区)綿貫英彦
被害の凄さに呆然とし、復興どころか生活再建も進んでいない状況に怒り心頭に。紙参議院議員と漁業関係者との懇談では、政府の復興策が被災地の願いとかけ離れている実態を感じました。また七ヶ浜町議会主催の仮設住宅入居者との懇談会などを通じ、生活再建が柱にならなければ、復興などありえないと実感。港でがれきを処理していた漁業関係者の「国会議員や偉い人は誰も現場に来ない」との言葉が忘れられません。復興に全力をあげます。