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議会報告

2016年予算議会

教育長人事に対する反対討論

2016年3月25日 中山いくみ議員

私は、日本共産党市議団を代表し、本議会に提案されている人事案件のうち、議案第113号、教育長の任命について同意できないことを表明し、意見を述べるものであります。


今回の教育長任命は、現職の酒井龍彦氏が任期を6か月残して辞任するという異例の事態を受けてのものです。

酒井氏が教育長・教育委員に就任した2011年4月1日から現在までの約5年間は、髙島市政に追随して教育行政がゆがめられた5年間でした。

市長が教育に介入する場となっている本市の総合教育会議では、市長がすすめる「政策推進プラン」と「整合性が図られている」という理由で、新しく定められた教育振興施策の「大綱」に市長がお墨付きを出しました。また、この会議は、全国学力テストの成績向上、英語教育の早期化や「オールイングリッシュ」授業の促進、幼少期からの起業家教育、特区との連携などを市長が教育委員会に“尻たたき”する場となってきました。市長はそれ以外の場でも教育への介入をくり返し、学校や社会教育施設への「日の丸」掲揚の「徹底」に腐心してきたことを公言し、子どもや市民への強制を自慢しているありさまです。

こうした市長の介入によって教育行政がゆがめられる中、市予算全体の6〜7%という史上最低水準の教育予算が容認され、市民が切望した少人数学級の拡大は止められてしまいました。また、市長に追随して教職員にも人権無視の禁酒令を敷くとともに、財界・安倍政権・市長があおる「グローバル人材育成」方針にしたがった「英語が使える中学生日本一」のためのプランを推進するなど、そのゆがみぶりは、枚挙にいとまがありません。

特に、「民間で担うことができるものは民間に」というかけ声で公的責任を投げ捨てる髙島流の「行革」が教育分野に持ち込まれ、学校給食調理や特別支援学校のスクールバスの民間委託、図書館の指定管理者化などが強行されたことは、根深いところで子どもの権利や市民の生活に打撃を与え、むしばんでいきました。

そのなかでも最もひどい市長追随は、市立幼稚園を全廃する問答無用のやり方でした。7万2千筆をこえる存続署名、圧倒的反対の声が寄せられたパブリックコメントや地域での説明会――こうした声に一切耳を傾けることなく、酒井教育長のもとで廃止は強行されました。髙島市長が進める財界・大企業のための都市開発の財源づくりのために、子どもたちは犠牲になったのであります。

これら市長追随の教育行政を押し進めてきたのが酒井教育長でしたが、いっそう高まる市民の批判、深まる矛盾の前に、職を投げ出さざるをえなくなったというのが事の真相ではありませんか。

この機会に本来の教育委員会のあり方に立ち返り、本市の教育行政のゆがみと破たんを検証し、安倍政権と市長に対する独立性を失った福岡市教育委員会の姿を、根本的に反省する必要があります。

そもそも教育委員会制度は、戦前、教育が国家権力と政治の言いなりになって教え子を戦場に送り出した深い反省から、権力や政治から独立した制度として戦後にスタートしたのであります。この点は教育委員会制度のカナメ中のカナメともいうべきものです。

しかしながら2014年の地方教育行政法の改悪によって、教育委員長と教育長が一本化された新・教育長という職がつくられることになりました。今の教育委員長が教育委員の互選であり、また現在の教育長は教育委員会の指揮監督を受ける立場だったのに対して、新・教育長は、教育委員会を総理し代表する強大な権限をもった役職にかわり、市長が直接任命することによって市長の意向がストレートに反映します。そのことによって、教育行政の独立性が脅かされる危険があります。

今回この新・教育長を初めて任命するきわめて重大な機会となります。法律は改悪されたものの、国会審議の中でも政府は教育委員会の3つの根本方針――教育行政の中央政府からの独立、首長からの独立、民意によるコントロール――この3つは「これまでと変わらない」と答弁せざるを得なかったように、新・教育長の任命に際しては、教育委員会の独立性を脅かさない慎重な人事が求められます。

ところが、今回市長が提案してきたのは現環境局長である星子氏であり、自分の側近を教育委員会のトップに送り込むという、まさに教育委員会の独立性を根本から脅かす最悪の人事です。

地方教育行政法第4条では、新・教育長に必要な資質として「教育行政に関し識見を有するもの」という条件がつけられています。我が党が議会運営委員会などで星子氏の経歴や見解をただしましたが、同和対策でつくられた集会所への勤務や世界水泳誘致への関与など、こじつけたような教育とのかかわりしかなく、「教育行政に関し識見を有する」ことは見いだせませんだした。

明確なのは、髙島市長の執行部の一員として市長の政治を支えてきたという、悪しき「実績」だけであります。星子環境局長のもとで策定された「福岡市環境・エネルギー戦略」では、本市のすべての必要な電力をまかなえるほど再生可能エネルギーが本市に眠っているにもかかわらず、その電力普及率を、国の半分以下という低い目標に押しとどめています。その背景には、安倍政権と九電が進める原発再稼働路線に追随し、再生可能エネルギー普及に真剣にとりくもうとしない髙島市長の姿勢があることを厳しく指摘せざるをえません。星子氏は局長としてその意図を忠実にくんだ戦略を組み立てたのであります。

このように政権や市長の意向を忖度(そんたく)し、その顔色をうかがう――こうした人物が教育委員会のトップに送り込まれれば、まさに、安倍政権や髙島市長いいなりの教育委員会になってしまいます。

教育勅語が「一旦緩急あれば、義勇 公(こう)に奉じ、以て天壤無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし」とうたったように戦前の教育は天皇や国家の役に立つ人間になることを目的とし、国家がおこした戦争に使う国民づくりに熱中しました。その歴史を反省し、戦後は国家や経済に役立つ道具や材料をつくるために教育を行うのではなく、民主主義のもと、「個人の尊厳を重んじ」、一人ひとりの「人格の完成」が教育の目的となりました。これは今日でも教育基本法の中に入っており、かわっておりません。

教育委員会のトップになるべき人物にはこの教育の一番大切な目的がすわっていなければなりませんが、配布された星子氏の所信には「人格の完成」の「じ」の字もなければ、「子どもの最善の利益」をうたう子どもの権利条約の視点もありません。かわりに喧伝されているのは、「グローバルな視点で活躍しうる人材を育てていく必要」や「チャレンジする精神を育成することにより、国際社会においても活躍し得る人材になってもらいたい」などという髙島市長ゆずりの、粗末な教育観だけです。だからこそ、我が党がこの点を代表者会議で追及した際に明らかになったとおり、市長が星子氏を「最適任者」であるとお墨付きを与えているのであります。

改悪された教育委員会制度のもとで、新・教育長に、髙島市政の幹部である星子氏を任命することは、教育委員会の独立性を破壊し、髙島流の政治で教育をゆがめることをいっそうひどくすることが強く懸念されます。


よって、我が党は星子氏の教育長任命には同意できないことを表明し、反対討論を終わります。

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